天竜川

山奥の向こうから始まる 天竜川の物語

かつて暴れ天竜として恐れられた天竜川。明治時代、天竜の山々に植林を行い、度重なる水害を治めた金原明善の話は、遠州の人なら聞き馴染みのある話かと思います。それもあってか、遠州の人が思い浮かべる天竜川の姿は、スギやヒノキが植林された天竜の山々を流れるイメージが多いのではないでしょうか。もちろん、天竜の山奥の向こうにも天竜川は続きますが、その姿をはっきりと思い描くことは難しそうです。そこで、普段はあまり意識しない山奥の向こうの天竜川を求め、長野県は諏訪湖を目指しました。

私たちの知る、山奥の天竜川

旅のはじまりは、天竜川の河口から。天気が良ければ富士山を望み、遠くには南アルプスの山々が見えます。川幅(河川敷を含めた堤防と堤防の間)は1,200m以上もありますが、大きな砂州が西から東へと延び、実際の川幅は100mほどとかなり短くなります。遠州灘と交わる汽水域ということで、この日も多くの人が釣りを楽しんでいます。

左端と真ん中の風車の間に富士山が見える

源流である諏訪湖まではおよそ213km。まずは天竜川の堤防道路を北上。下流域には広い河川敷が広がり、サッカーやソフトボール、ジョギングなど、思い思いに過ごす人の姿が見えます。

天竜二俣に近づくと川幅は190mほどと短くなり、天竜の山の入口に到着したことが分かります。振り返ると大きかったアクトタワーのシルエットもすっかり小さくなっていました。

国道152号線(秋葉街道)を北に進むと、たっぷりと水を湛えた船明ダム湖が現れ、水際まで木で覆われた山は、まるで水に浮かんでいるよう。そんな天竜川(船明ダム湖)に架かるのが「夢のかけ橋」。道の駅「花桃の里」と「伊砂ボートパーク」を結ぶ歩行者と自転車用の橋で、全長は473mあります。

この橋は、今の天竜二俣駅からJR飯田線の中部天竜駅までの35kmを結ぶ幻の国鉄・佐久間線の橋脚を利用したもの。13kmの工事が済んでいたものの国鉄再建法によって1980(昭和55)年に計画は中止に。長らく未完成の橋脚だけが残っていましたが、2000(平成12)年に、夢のかけ橋として再整備されました。道の駅「花桃の里」の裏手には、今も佐久間線のトンネルがあり、ワインの貯蔵施設として活用されています。

夢のかけ橋から見る天竜川(船明ダム湖)と天竜の山々

秋葉ダムを過ぎ、さらに北上。大井橋を左折し県道473号線に入り、佐久間ダムを目指します。荒々しく掘削されたあとが残る暗いトンネルを抜けると、緑の木々に彩られたコンクリートの建造物が現れます。1953(昭和28)年に着工し、日本初の大型土木重機を導入し、わずか3年4カ月で完成した佐久間ダムは、戦後復興の象徴とも言われていたそうです。

重力式コンクリートダムで高さ155.5mは日本9位。歴史を感じさせる武骨な佇まい

佐久間ダムが計画されたことによって、天竜川沿いにあったJR飯田線3駅と集落がダムの底に沈みました。地図を開くと、佐久間駅からJR飯田線が大きく東に迂回し、水窪を通り、大嵐(おおぞれ)駅に戻り、再び天竜川を北上していることが分かります。ダムによる国の治水工事、幻の佐久間線や迂回したJR飯田線の開発など、かつての天竜は多くの労働者でにぎわっていたと聞きます。

ダムの先はもう愛知県。時折ダンプカーが通り抜けるだけで、人工的な音は何も聞こえてきません。展望台がある佐久間電力館は、コロナ禍のため旧館中でひっそりとしています。山とダム湖しかない景色が、ここが静岡県内にある天竜川の最奥であることを教えてくれるようです。

ダム湖を含めると静岡県、愛知県、長野県の3県をまたがる天竜川

天竜川の源流を目指して

ここから、三遠南信道の佐久間川合ICに乗り、東栄ICで下車。国道151号線を使い諏訪湖を目指します。対面2車線の道路と対向車とすれ違うのも難しい狭い道路が交互に続き、たまに現れる山頂と空しか見えないパノラマビューが目を楽しませてくれます。阿南町、下條村を通り、伊那谷の南端である天龍峡に到着。天竜川がつくったV字谷の渓谷美を堪能する船下りが人気で、観光客からが訪れる観光地でもあります。

上伊那森林組合のある伊那市を抜け、気づけばすぐそばに天竜川が流れています。遠州のそれとはちがい、川幅はずいぶん短く、水深も浅そう。天竜川と言われなければ気づかないくらい普通の川でした。そうこうするうちに、伊那谷の北端にあたる辰野町に到着。JR飯田線は辰野駅が終点。ここで中央本線と接続し、塩尻や松本、諏訪湖方面へ行くことができます。JR中央本線と天竜川と並走しながら、再び諏訪湖を目指します。

写真は、伊那谷の中央にある伊那市を流れる天竜川。水深が浅く、コンクリートブロックが置かれている

10kmほど走ると、ついに諏訪湖に到着。諏訪盆地の真ん中に位置する諏訪湖は120万年かけて生まれた断層湖で、面積は13.3k㎡、周囲は15.9km。浜名湖のおよそ5分の1(面積比)ほどの大きさです。水深が深いという特徴を持つ断層湖ですが、諏訪湖には上川や宮川など、31もの河川が流れこむため土砂などの堆積が多く、水深は7mほどしかありません。

諏訪湖のパノラマ写真

一方、諏訪湖から流れ出る河川は、北西にある天竜川の1つしかなく、大雨が降るたびに氾濫を起こしていました。そこで1936(昭和11)年に、琵琶湖から流れていく水量を調節する「釜口水門」を設置。1988(昭和63)年には、これまでの3倍の調整能力を持ち、全幅80mの新しい釜口水門が完成しました。ここが天竜川の源流です。

船明ダムや佐久間ダムのような満々と水を湛える姿や、だだっ広い河川敷をゆっくりと流れる天竜川の姿しか見たことがなく、目の前にある小さな天竜川とのギャップに戸惑いを隠せません。釜口水門の周りは湖畔公園として整備され、多くの人が釣りを楽しんでいました。諏訪湖を取り囲むように町が広がり、暮らしの風景の一部に諏訪湖があるんだろうなと想像がつきます。

山の向こうから始まる 天竜川の物語

今回の旅は、キビカの永井さんの話がきっかけ。天竜区水窪出身の永井さんにとって身近な移動手段はJR飯田線でした。水窪駅からは上諏訪駅行きの電車が走っています。山の向こうには、どんな町があり、どんな人が住んでいるのか、幼い永井少年は訪れたことのない場所に想いを馳せていたそうです。

古くから交通の要衝として知られる浜松ですが、東海道をはじめ、鉄道や高速道路も東西方向のものばかり。古くから秋葉街道(今の国道152号線)や塩の道といった南北方向の道もありましたが、現在では長野方面へ行く場合、名古屋や山梨へ迂回することが多く、長距離移動で使う人はあまりいません。それもあってか、遠州の平野部に暮らす人にとって、天竜の山の向こうに町があり、人が暮らしているというイメージを持ちにくいのかもしれません。

天竜川の上流域にある諏訪湖や伊那市、中流域の天竜区、下流域にある浜松の平野部。地形や気候風土によって見える景色や文化も異なります。これらのエリアをゆるやかに結ぶのが、諏訪湖を起点にいくつもの川と合流し、渓谷や平野を流れ遠州灘に注ぐ天竜川。下流域の河川敷が白いのは、天竜川上流に分布する石英を含んだ花こう岩が削られ、運ばれるから。一方で、佐久間ダムをはじめとしたダムによって山の砂が運ばれず、海岸侵食が深刻な問題にもなっています。

遠州大橋の向こうが天竜川の河口
河口から振り返ると天竜の山々が見え、その奥にも人の営みが続いている

今まで自分が知っていたのは、天竜川の半分にも満たない姿でした。流域には自分の知らない誰かが暮らしている。それに気づくことがさまざまな問題を解決する糸口になるかは分かりません。ただ、上流と下流は確かにつながり、相互に作用しあっている。今回の天竜川をたどる南北の移動は、そんな当たり前のことを改めて思い出させてくれたのでした。

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